多次元体の私による高次元の話

カードの注意点,目覚め(悟り)・気づきオラクルカード

「高次元」をリーディングタイトルに入れるとアクセス数が増える。
皆そんなに好きなのか。
自分よりずっと上の神々しくてありがたいものとイメージしているからか。

 

 

世界の本当の姿は、一なるもので分かれてはいない。

だが、「高次元」と表現した時点で意識上に分離が生じ、それ以外のもの――「低次元」が出現する。

人は「それ」であるとき「それ」を求めたりはしない。
「それ」でないからこそ求める。

すなわち「高次元」を求める心は、自分は「高次元」ではないといっているのと同義だから、高次元を追求するほど、それを求めている自分という存在は低次元だという意識を強化していることになり、追求しているそれから逆に視点を遠ざけてしまう。

同様に、オラクルカードの「〇△しましょう」というメッセージも、「自分は〇△でない」という意識を植え付けやすい。
短期間のうちに繰り返し触れると、自分は不完全な存在であるという認識がほとんど無自覚のうちに定着してしまうことがある。

「私は不完全な存在」という潜在意識は、相応のいびつな現実を創り出し、そこから抜け出さんと、「〇〇しましょう」というアドバイスを求め、さらに不完全の認識を強固にして……。

メッセージがポジティブなためそれと気づきにくいが、オラクルカードには、下手な使い方をすると分離に意識が居座ってしまうというデメリットもある。

しかし、「分離視点に居座ること」を悪とし、悪であるがゆえに排除しようとする働きも分離の意識によるものだ。

と聞いて、「分離の意識」を悪とし、悪であるがゆえに排除しようとする働きもまた分離の意識によるものだ。

という具合に、ズームアウトしながら自分の意識をノージャッジで見ていくと、否が応でも意識は分離から統合へ回帰していく。

とはいえ、分離を極めて統合に至るわけではない。

統合は分離の延長線上にあるのではなく、初めから分離を内包している。