俯瞰の注意点

内観・俯瞰,考察・所見

先日、俯瞰について書きましたが、注意点があるので追記しておきます。

俯瞰するときには、「観察対象(自分の感情)をしっかり認識していること」が必要です。
でなければ、対岸の火事を見るかのような傍観に陥ってしまいます。

自分のことを傍観する者は人生からも傍観されるため、どこにも救いがなく人生に見放されたような気分になるものです。
それを好んで選択するのでないなら、傍観は避けたほうが賢明でしょう。

前回、まずカードをしっかり見ました。
この工程が、現実世界における俯瞰においても重要です。

カードを見たときと同じく、自分の心の反応をあらかじめよく認識しておきましょう。
特にネガティブな感情のうち、強烈なものや自分の正義に反するもの、不快に感じるものは、十分に把握しないうちに意識を逸らしたり封印したりする働きが起こりやすいものです。

たとえば、「自分は温厚である(温厚でありたい)」と思っている人が、誰かに対して「このやろう!」という感情を抱いた場合、「そんな風に思ってはいけない。そんな風に思うような自分であってはいけない。この思いはなかったことにしよう」といったような心の動きが瞬時に、しかも多くの場合半ば無自覚のうちに起こるかもしれません。

悲しみや罪悪感を十分に感じ尽くさないうちに、ほかの何かで紛らすなどして解消したつもりになるというようなこともよくあるでしょう。

そうしてするりと逃げようとする感情を看過しないようにして、ありのまま認識することが、俯瞰の大前提です。

先の例でいえば、「自分は今『このやろう!』という憤りを抱いた」と事実だけを認めて、そこに別の何かを付加しないように留意します。

この事実に新たな情報を載せてしまうと、自己評価が失墜したことに落胆したり、それを回復しようと試みたり、相手を攻撃したりといった、別の心の動きが生じてきてこじれてしまうので、スマートにただ見て、ただ認めることに徹することがポイントです。

初めは難しくても、地道に繰り返していくなかで、次第にコツがつかめてきます。

いくらやってもわからないときは、自分の中にある「善悪のものさし(ジャッジ)」を手放していくところから始めていくとよいでしょう。

このものさしこそが、あるものをあるように見られなくさせている原因です。

感情は私たちに「快・不快」を感じさせるものですが、それ自身は善でも悪でもありません。

感情を裁かないレッスンを重ねることで、それを歪みなく認識できる力が育ち、ひいては俯瞰力も高まっていきます。